古きを訪ね・・・
「この辺りは、柳新田というくらいだから、昔は柳の木がいっぱいあったんだろうね。」
「ええ。私が小さい頃には仙了川沿いに何本かありましたが、護岸工事の時に全部切っちゃいましたね。」
「富水は水が豊かな所というのはわかるんだけど、栢山はどうしてついた名前なんだろうかね。」
「・・・。かやが山のように生えていたのかな。でも字が違うなあ。」
そう言えば、小田原とか富水とか地域の歴史を扱った本があった・・。
オープン前に図書を大処分したけど、「この本は捨てられないなあ」と
ひとまとめにとっておいたのがどこかにあるはず。
最初の本には、【この辺りは中世に栢山氏が勢力を張っていた、本家筋は藤原氏とか。でも、栢山という土地に住んだから便宜的に栢山氏と名乗ったらしく、本来の土地名の由来は「カヤの生えている小高い丘」と考えてよい】と記述されていた。
(残念ながら「柳新田」は記述なし。南足柄市や足柄上郡下郡については説明があるので、興味のある方は、手に取ってみて下さい。)
昭和39年4月発行の非売品。
富水小学校在籍児童に配られたのだと思われる。
当時の校長さんの発刊のあいさつ文で
【郷土をよく知るということは、自分の生活をよりよく豊かにし、心のゆとりもでき、楽しい毎日が送れるもととなる】
と郷土に目を向ける大切さを説き、水の郷「富水」については、
【自分から活動して他のものを動かせるのは水です。いつも自分の進む道を求めてやまないのは水です。さえぎるものに突き当たると、激しく勢いを強めるのは水です。自分から清いものや濁ったものをさっぱりと洗い、それを合わせ飲むことができるのは水です】
と子どもたちに古人の言葉を引用して励ましている。
他地区と違い「新田の開発」の項に
(清水新田、穴部新田、柳新田)
最後の最後に登場していました。
【村の有力者が自分の財産を投げ出して開墾した「清水新田」「穴部新田」と違い、『柳新田』は飯田岡村の人が力を合わせて開墾して分村を作り、移り住んでできた村】【仙了川の土手、柳の多い荒れ地を開墾したので、『柳新田』という名が付いた】
心の奥の方が温かくなるような不思議な感じ。
校長さんの言葉の意味が少しわかったような気がする。
この土地を切り開いた先人(私の祖先)、
この貴重な資料を世に残してくれた先人に
心から感謝したいと思う。
近いうちに【古きをたずね part2】でブログが更新される予定です。
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